ジャングル29年
ジャングルに約30年間潜み続けた元日本兵・小野田寛郎さんが先日亡くなりましたが、それにちなんだまとめブログを見ましたよ。
【訃報】元日本兵・小野田寛郎さんが死去 91歳 戦後30年、フィリピンのジャングルに潜伏:ツンダオワタ情報
この中のyoutube動画「NHKハイビジョン特集」で初めてこの人がどんな人なのか、
ほんのちょっぴり分かった気がします。
↓動画は1時間50分あります。
私の中のイメージはガチガチの右翼みたいな方かとばかり思っていましたが…
どーやらそうでもなく。頑固で人間味あって、なんかカッコいいなと。
動画の中のエピソードをざっくりと
- 中学時代に学校の先生の不正が許せず、校長に直談判。権力を利用した物言いが非常に嫌い。
- 中学卒業後17歳、家を出て、貿易会社に就職。
- 太平洋戦争開戦1年後 陸軍入隊(20歳
- 徴兵される事は嫌だったか?▶︎みな兵隊になったので自然な事だったから普通。
- 中国語や車の運転、写真撮影の趣味から、陸軍中野学校ゲリラ・スパイ養成を受ける。
- 陸軍中野学校「石にもかじりついて生き延びる事」
- こちこちに凝り固まった者は大嫌い。
- 情報として「大戦は敗戦するが、その後アメリカの転覆を狙う事」と伝えられる
- フィリピン・ルパング島に派遣される。
- 4日間で200人の守備隊のうち160人死亡。残った40人を3人一組にしゲリラ戦を展開。
- 2〜3日に一度 20キロ近い装備を持ちジャングルの中を移動し続ける。
- 終戦の情報は2ヶ月後には、知っていた。 が、一度負ける事は織り込み済みだったのでそのまま諜報・ゲリラ活動を続けた。
- 苦しかったのは最初の3年。地形が分からないから。
- (地形把握後)敵とどこで遭遇しても勝てる自信が有った。
- 就寝中に蟻に鼓膜を破られる。耳栓をすれば防げるが敵襲が怖くて耳栓をつける事は無かった。
- 討伐隊と190回近く戦闘。無駄な弾を撃たぬためにギリギリまで敵を引きつける戦法を使う。幾度にもよる戦闘で部下を失う。(一人になったのは72年から)
- 5年後の朝鮮戦争に向かうアメリカ軍を島から見たため未だ太平洋戦争が続き日本軍が反撃を始めたと判断した。
- 小野田さんがルパング島に居る事が判明し、日本政府による捜索が行われるが敵軍の謀略と判断。調査団が残した新聞などで日本の現状は分かっていた。
- 鈴木紀夫が川辺にテントを張っているのを発見しコンタクト。命令系統がおかしい。上官命令なら従うと伝える。
- 投降直後フィリピン軍から銃殺されるかと思った、だが扱いでそうではない事に気づいた。
- 会見・うれしかった事は?「29年間うれしかった事は今日の今までありません。」
- 戦争から30年経った日本について「みんな豊かになったからそれでいいんじゃないのか」
- 失った青春について「前倒しで商社時代に謳歌した」
- 日本政府により自由に行動できない事や全国から貰った見舞金を靖国神社に寄付した事からバッシングを受け嫌になりブラジル移住。農場を53歳から始める。
- 靖国神社に寄付した理由は、金は生きて帰って働き稼げば良い。戦死した人は、報われなかったから。
- ジャングルで培った自然の利用方法を生かしているので、30年間無駄な事は無かったと思う。
- 1000平方メートルの牧場は小さい。グバング島は27倍。そのグバング島(の地形)は掌に有ったから。
- 1980年金属バット事件を受け青少年の教育に尽力する。
- ブラジルと日本を往復、日本では講演・執筆活動。
・・・。
ぜんぜんざっくりじゃないけど、動画の節々から感じるのは、
この人イジっぱりだなーとか、頭がいいんだなとか、負けず嫌いで諦めも良くて
人間味のある小野田さんでした。それまでは、ガチガチの軍人のイメージでした。
個人的には、「無駄な事は無かった。」と言い切れるあたりがカッコいいな。
もっと早くこの人の存在を、早く知っておくべきでした。